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プロジェクトインタビュー

第7回プロジェクトインタビュー:
 福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館 様


福澤諭吉の生涯や今なお新しい思想とともに、慶應義塾の理念を発信する展示館を目指して

福澤諭吉記念慶應義塾史展示館は、福澤諭吉の生涯と慶應義塾の歴史を、数多くの貴重な「実物」と当時の「言葉」でたどる施設として計画されました。展示では福澤諭吉の生涯や先進的な思想とともに、160年に渡り受け継がれてきた慶應義塾の理念を世に発信することが求められました。 当社は展示館の計画・設計・制作にわたり、本プロジェクトをお手伝いさせていただきました。本稿では、展示館をご担当された慶應義塾史展示館の先生方と当社のプロジェクト担当者が、当時のエピソードを振り返りながら、プロジェクトへの思いやこだわりを語っています。

テキスト 福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館が整備された慶應義塾図書館旧館
慶應義塾福澤研究センター 准教授
福澤諭吉記念慶應義塾史展示館 副館長
都倉 武之 様

2007年慶應義塾福澤研究センターに着任。専門は近代日本政治史・政治思想史・メディア史。2008年慶應義塾創立150年に際して展覧会の企画に関わるようになり、「生誕120年記念小泉信三展」(2008年)、「未来をひらく福澤諭吉展」(2009年)、「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクト展(2013〜16、19年)、「近代日本と慶應スポーツ」展(2017年)、「釈宗演と近代日本」展(2018年)などの企画を担当。2021年の慶應義塾史展示館開館にあたり、企画立案を担当。

福澤諭吉記念慶應義塾史展示館 専門員
横山 寛 様

2008年より福澤研究センターにて、福澤諭吉および慶應義塾史に関する資料調査、展示に携わる。慶應義塾史展示館開設にあたり、同準備室員として展示物制作を担当。2021年より専門員として常設展示の管理・更新および企画展開催を担う。

株式会社トータルメディア開発研究所
東日本事業本部 プロジェクト統括部 
西尾 理恵

ハウスメーカーでの商品企画や設計、テーマパークでのコンテンツ開発業務の従事経験を経て、トータルメディア開発研究所に入社し、プロジェクト業務推進を担当。 お客様が思い描く理想に+αの付加価値を付与しながら課題を解決する空間づくりを目標に、博物館等の文化施設開発に取り組んでいる。福澤諭吉記念慶應義塾史展示館では、重要文化財に指定されている旧図書館の中に設置される展示室として、建物と展示の調和を図りつつ、福澤諭吉先生や慶應義塾の歴史を凝縮した展示空間が展開できるようにつとめた。

株式会社トータルメディア開発研究所
東日本事業本部 制作推進部
青木 優

東日本事業本部において制作推進業務を担当。入社以来、展示制作における技術的なディレクションや設計監理、現場管理などを担当。岩手銀行赤レンガ館や勝海舟記念館など、文化財に指定されている建物内の展示制作なども歴任。福澤諭吉記念慶應義塾史展示館においても、重要文化財の建物を傷つけない施工方法を十分に検討して展示制作業務を推進。歴史的建造物の趣ある佇まいと調和する展示環境づくりや、貴重な資料の保護を考慮した展示システムの開発に注力した。

重要文化財である旧図書館内に整備された展示館

2021年の開館以来、多くの方々にご来館をいただきたいへん好評。海外の方々の利用も多い。

テキスト

福澤諭吉記念慶應義塾史展示館 副館長 都倉 武之 様(以下、都倉氏)
2021年の展示館開設以来、学生をはじめ、多くの方々にご来館いただきたいへん好評です。慶應義塾図書館旧館は、瀟洒(しょうしゃ)で華麗な造りであることから建物自体が人を引きつける魅力を持っていますが、元閲覧室という天井の高い空間を生かした展示は、慶應のディープさを凝縮したものになったのではと考えます。解説グラフィックには日本語だけでなく英訳を添えたことにより、多くの海外の方々にご利用いただけるようになりました。塾長もよく外国からの来賓を自ら案内しています。

図書館旧館は慶應義塾のシンボル。その中に展示館を整備した意義は大きい。

テキスト

慶應義塾史展示館 専門員 横山 寛 様(以下、横山氏)
1912(明治45)年に建てられた図書館旧館は、慶應義塾のシンボル的な存在である一方、慶應出身者や在校生もあまり立ち入らない場所でした。それが展示館の整備により、歴史的な建造物をもう少し身近に感じてもらえるようになった。なかには『初めて建物の中に入ったよ』と感慨深げにおっしゃる年配の大学OBの方もいらっしゃいました。 また、学外の方がこれまでキャンパス内で利用する場所といえば学生食堂の「山食」くらい。来校時に見学できる場所ができたのは良かったと思います。親子連れや若い男女が来館するのも珍しくありません。

1930年代からあった展示構想。長い間の紆余曲折を経て具体的な計画が動き出した。

(都倉 氏)
福澤諭吉の生涯や慶應義塾史を展示しようという構想は、古くは1937年に具体化していました。ところが戦争の影響などさまざまな理由から、何度も計画が見送られてきました。慶應義塾は同規模の大学を見回したとき、美術館や博物館を持っていない最後の大学となっていました。合理性や実学を重んじた福澤の学校らしいといえば確かにそうです。ですが、美術や考古、古典籍など多様な領域にわたる文化財コレクションを展示する慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo、2021年開館)の設立構想の浮上と時を同じくして、2016年、図書館旧館の免震工事が決まり、学校史の展示施設をつくろうという機運も高まってきました。 さらに慶應義塾が米ハーバード大学の援助を受けて大学部を創設して125年を迎えたことを記念して、2015年春に清家篤塾長以下のキャラバン隊が同大を訪問したことも、後押しになったのではと個人的に感じています。私も同行したのですが、ハーバードの文書館には慶應義塾に関する資料がたくさん残っており、それを展示してくださいました。では慶應側は一体どうなんだということが話題になりました。そうした諸々の事情がうまくかみ合い、展示施設の開設が現実的なものになっていきました。ですが、新しくつくる組織であるKeMCoに議論が集中してこちらをどのような体制でつくっていくか全く議論が進まず、実務的に動き出したのは2019年秋。開館予定までギリギリのタイミングでした。

整備当時のエピソードとともにプロジェクトを振り返る。

(都倉 氏)
展示館に入ると、まずは散歩姿のユニークな福澤諭吉の写真が出迎えます。これは、福澤の最晩年の散歩姿です。この福澤の実物大写真の横にあるオープニングのメッセージから一筆書きの線が出ています。この一筆書きの線は、各時代の塾生の姿などに変容しながら、各章の内容を暗示しつつ来館者を案内していきます。これはトータルメディアさんから、館内を散歩するイメージというご提案をいただいたことと、歴史が単に過去の出来事ではなく、現在の慶應義塾まで繋がっているということを表現したいというこちらの要望との中で育っていったアイデアです。

テキスト 導入に設置された福澤諭吉最晩年の散歩姿とオープニングメッセージ。

 

テキスト 各章の内容を暗示しつつ来館者を案内していく一筆書きのイラスト。

福澤諭吉の存在を「神棚」から下ろすことが、慶應義塾や学問の意味を考える近道になると考えた。

テキスト

(都倉 氏)
学校史の展示というと、どうしても宣伝的なものになりがちです。慶應の場合なら、福澤万歳、慶應義塾万歳になります。心がけたのは、歴史好きの人が面白いと思い、何か考えるきっかけにもなるような展示。ですから、内輪の語り口を避け、俯瞰(ふかん)した視点からの展示を心がけました。「福澤先生」という言葉を使うだけで見えなくなること、来なくなる人がいる。ある意味では、権威になってしまった福澤を『神棚』から下ろすことが、かえって慶應義塾自体の存在意義や学問の意味を考える近道になると考えたのです。 福澤に向けられた批判も含めた様々な見方について、ある程度スペースを割いて展示に反映しているのもそのためです。慶應義塾卒業生の同窓会組織『三田会』に触れたコーナーもありますが、本来その結束力は、排他的なものではなく、団結して社会の常識と闘っていこうという気概に満ちていたことを書きました。独善的になりがちな現状への問題意識から盛り込みました。批判も覚悟しましたが、案外「そうだ、そうだ」と見て頂いています。

 

テキスト 福澤諭吉と慶應義塾史に関する貴重な資料を展示。

『福澤諭吉』と『慶應義塾史』をひとつの物語としてシンプルにたどる流れにした。

テキスト

株式会社トータルメディア開発研究所 西尾 理恵(以下、西尾)
最初は『福澤諭吉』『慶應義塾』を2つのラインに分けて展示する方法を提案しました。ですが、学内だけにとどまらない福澤先生の活動と慶應義塾さまの歴史を並行させるのは構成上難しく、福澤先生の生い立ちや学問形成に始まり逝去まで、途中から塾史に切り替わり未来へ続いていくという1つのラインにまとめました。こうしてみると、想像以上に不自然なくつながったという印象です。ゾーニングやレイアウトを複雑にすればかえって見る人が混乱するおそれもありましたので、ひとつの物語としてシンプルに福澤先生の人生や塾史をたどる流れにしたのは結果的によかったと思っています。

 

重要文化財の建物内に展示館をつくるのは苦労の連続。展示物の搬入にも細心の注意を払いました。

テキスト

株式会社トータルメディア開発研究所 青木 優(以下、青木)
私は設計企画が決まった段階から関わり始めましたが、なにせ現場は貴重な国の重要文化財。工事をするにあたり、床や壁を傷づけるのはご法度ですし、火事などはもってのほかです。れんが造りの建物を見上げて、果たしてどのように搬入をすればいいのか、正直、頭を抱えました。 館の入り口をくぐると目前に大階段があり、その後ろに色鮮やかなステンドグラスがある。古い階段の途中には急なカーブもある。エレベーターはありません。展示ケース自体も鉄の資材で重たく、手で持ち運ぶことができません。

 

大階段をスロープ状に養生して搬入の難局を突破。貴重な資料を保存・展示するエアタイトケースも導入。

(青木)
熟慮を重ねた末、階段をスロープ状に養生して、手動で資材を引っ張り上げていく方法を採用しました。ところが今度は別の問題が発生しました。展示室となる部屋には歴史を重ねた重厚なカーペットが敷いてあります。当然こちらも傷がつかないよう細心の注意を払わなくてはいけない。普通の工事の養生ではとても足りません。とにかく苦労の連続でした。展示搬入だけでなく、貴重な実物の展示に関しても十分な配慮が必要でした。明治期に建造されたこの建物は、貴重な資料の数々を保存・展示する環境としては課題も多いのです。そこで、気密性の高いエアタイトケースを導入し、温度や湿度の管理も徹底しました。

(西尾)
旧図書館の工事は耐震化と外装の修復に限定され、内部には手をつけないことになっていました。全てを新しくするのではなく、残すものは残して使う。限られた条件のなかで現在の形に落ち着いたという感じです。展示のデザインも瀟洒な建築意匠との調和を図っています。

 

重要文化財である旧図書館の瀟洒な意匠と調和する展示デザインを採用。

「颯々(さっさつ)」「智勇」「独立自尊」「人間交際」という4つの章に分かれた展示空間。

(都倉 氏)
福澤諭吉の生い立ちや学問形成、海外体験を展示している最初の『颯々の章』は、福澤が自伝のなかでよく使っている『颯々』(さっさつ)という言葉を採用しました。良いと思ったら動いてみようというフットワークの軽さ、さっぱりした明るい行動原理、この前向きな言葉が急浮上したのは、整備の工程でも一番あとでした。最後までしっくり来る言葉が見つからず、色々な人と相談してようやくたどり着きました。

(西尾)
校了直前でしたよね。変わるってー!と各所に急いで連絡したのを覚えています(笑)。

(都倉 氏)
その際はお手数をおかけしました(笑)。続く、『智勇の章』ですが『智勇』とは、学ぶことで湧く勇気。智と勇という並列関係ではありません。智を伴って前に進むという意味で、いわば「蛮勇」の対義語です。1858年の蘭学塾の始まりから1901年の福澤の逝去までを、福澤の活動と塾史を絡めながら展示しています。

 

テキスト 福澤諭吉の思想をよく表している4つの言葉を各展示の章立てとして設定。

自ら考え行動することを促す『独立自尊』は福澤の代名詞ともいえる言葉。福澤がその言葉に込めた意味をどう模索してきたのかを描く。

テキスト

(都倉 氏)
『独立自尊』は福澤の代名詞ともいえる言葉ですが、あえて福澤没後から現在に至る塾史の部分である、3章のタイトルにしました。戦争を経て戦後へと至る時代、福澤が提唱した独立自尊をどう伝えてきた学校なのか、福澤がその言葉に込めた意味をどう模索してきたのかを描いています。 最後の『人間交際の章』は、人と人とが交際することで社会がつくられていくという、福澤の考えが慶應義塾のいまにどのように投影されているかを問うコーナーです。福澤の女性論、交際論からはじまり、その実践の歴史として、慶應の学風や体育会の特徴などを紹介しています。慶應高校野球部の甲子園での活躍で広く知られるようになった慶應野球部のEnjoy Baseballという理念についても開館時からここで展示しています。先ほどお話しした三田会もこちらで取り上げました。

展示ストーリーをつなぐ一筆書きの線をたどりながら、福澤先生と一緒に会場を散歩していく展示室。

(西尾)
今回の展示でユニークなのは先ほどのオープニングでも触れた一筆書きの線です。福澤先生と一緒に会場を散歩していくイメージを一目瞭然で伝える手段はないか、そう考えたときこの一筆書きの案が出てきました。要所要所に時代に応じた当時の人々の姿を配していて、よく見ると福澤先生もちょんまげ頭からざんぎり頭にかわったり、戦前のコーナーには当時流行した丸メガネ姿の塾生がいたり。江戸時代を代表する儒学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)らしき人物の一筆書きなど、わかる人にはわかるネタも満載です。

 

テキスト グラフィックにはコーナーのテーマを暗示するイラストが一筆書きで描かれる。

 

テキスト 福澤諭吉と一緒に会場を散歩していくイメージを一筆書きの線で表現。

 

(西尾)
各章の終わりには線が途切れますが、あたかも空中で続いているかのように、次章の始まりに線の高さをそろえているのも細かなこだわり。そして、展示の最後の方には一筆書きの福澤先生の姿は見当たりません。福澤先生の向こう側を、あとは自分で描いていきましょうというメッセージが込められています。

膨大なテキストで構成されたグラフィック。歴史的な表現を英語化するのはひと苦労だった。

(都倉 氏)
展示自体は解説文と展示物によるオーソドックスな構成で、様々な資料に対応する総論的な文章にして、それに関連する展示物は時々入れ替えています。解説文はできるだけ平易な文章を心がけましたが、より詳しく知りたい人が物足りなくならないよう、文字数はそれなりの量になりました。それと、歴史的な表現を英語化して併記するのもひと苦労でした。

 

テキスト グラフィックに集約された膨大なコンテンツの制作過程と苦労を振り返る。

情報量が多い分、毎回新たな発見がある。気になる言葉を見つけて各自で深堀りできる展示。

(西尾)
盤面はかなりの情報量だったので、試作のグラフィックをつくって検討を重ねました。ですが、福澤先生と長い塾史を限られたスペースで表現するわけですから、こればかりは仕方がありません。見方を変えれば情報が多い分、何度来てもその度に発見を得られるのではないでしょうか。

(都倉 氏)
展示の各所には、福澤諭吉自身の言葉や塾史上の重要な文章など印象的な言葉を散りばめています。それを読んだ外国の方が指差しながら『確かにそうだ』とうなずいている姿を見かけることもしばしば。全部読んでほしいというよりは、気になる言葉を持ち帰って、そこから各自で深掘りしてくださるとうれしい。あまり親切過ぎないというか、こびすぎないというか、お金を払って楽しく見てもらう場所とは異なる展示館という意識はありました。

 

テキスト 展示の随所に福澤諭吉自身の言葉や、塾史上の重要な文章などを散りばめて構成。

 

慶應義塾日吉寄宿舎と他校の学生寮を比較した展示は、細部にこだわって制作。

(都倉 氏)
面白い展示があります。戦前の慶應義塾日吉寄宿舎と、バンカラな雰囲気が漂う他校の一般的な学生寮の一室を再現した模型の比較展示です。じっくり見ていただくと学風の違いがよくわかるようになっています。他校の寮には万年床や壁の落書きなどもこだわって再現しました(笑)。

テキスト バンカラな雰囲気が漂う他校の一般的な学生寮の一室。

 

テキスト 整然とした雰囲気の戦前の慶應義塾日吉寄宿舎。

 

福澤諭吉や慶應義塾の関係者をタッチモニターで直感的に検索できる『社中Who’s Who』。

(横山 氏)
一際目を引く巨大なタッチパネル式のデジタルコンテンツ『社中Who’s Who』は、展示館の目玉の一つです。福澤の友人・知人や親類、そして現代までの慶應義塾の卒業生(塾員)を中心とした関係者を紹介する、人物データベースで、スクリーン上に漂う人物の肖像アイコンに触れると、経歴を示す詳細画面が開きます。一人選ぶと何か関連性がある人が集まってきますが、何が関連しているかまでは示しません。 スクリーン上のホイッスルのアイコンをタッチすると人物名や出身地、学問分野や在学期間などのタブが表示され、入力すると特定の属性を持った人物のアイコンが集まってくる。非常にユニークです。基本的に人物は過去の慶應義塾の出版物などから選んでいますが、企画展の内容に連動してその関係者を増やすなど、まだまだ進化中です。ただし、ご健在の方を入れ始めると収拾がつかなくなるので、故人限定で入れるルールになっています。

 

テキスト タッチパネル式のデジタルコンテンツ『社中Who’sWho』。

 

テキスト 福澤諭吉や慶應義塾の関係者のつながりを体感できる。

 

(西尾)
スクリーンの上部にはセンサーを設置。前に立った来館者の身長に合わせて中心が集結するようになっています。たとえば、背の低いお子さんがくれば、下方にアイコンが寄ってくる。デジタルサイネージではメインをどこに表示するか、毎回のように課題となります。大人向けの施設ではありますが、多様な来館者を想定して工夫を施しました。

 

当時の航空写真や絵はがき、学生らの写生画などを頼りに、大正時代の三田キャンパスを模型で再現。

(西尾)
1923(大正12)年ごろを再現した三田キャンパスの模型。こちらが最後の搬入だったのでとても思い出深いです。出来上がるまでは、持ってきてはここが違うと何度も持ち帰り、修正を重ねました。ほぼ完成したのは本当に開館前のぎりぎりで、搬入後もみんなで模型に木を植えたりしましたよね(笑)。

 

テキスト 再現した三田キャンパスの模型を囲んで制作過程を振り返る。

 

テキスト 航空写真や絵はがき、学生らの写生画などを頼りにキャンパスを再現。

 

(都倉 氏)
極端な話、福澤の思想や塾生文化などに全然興味を持たれないで来館する方もいるでしょう。当時のキャンパスをリアルな模型で再現したのはそのためです。よくできた模型はそれだけで魅力があり、心をつかみます。ただ、何一つ現在のキャンパスと共通点がないと、面白く感じてもらえないので、この展示館の建物が完成して以降で、何とか復元できそうな一番古い時期を狙いました。製作時においては、建物の造形や寸法、彩色などが困難で、航空写真や絵はがき、当時の在学生の写生画などを頼りに当時の姿に近づくよう腐心しました。修正に次ぐ修正で、トータルメディアさんにもご苦労をおかけしました。

実質3人体制でプロジェクトを進行。修正に次ぐ修正で、トータルメディアさんにも多くの無理難題に対応していただいた。

テキスト

(都倉 氏)
タイトなスケジュールとコロナも相まって、福澤と塾史の知識がある人材で、展示の中身の検討に加われたのは横山さんともう1人のみ。実質3人体制でグラフィック、映像、デジタルコンテンツ、模型のプロジェクトが同時進行する、目まぐるしい日々が続きました。修正に次ぐ修正で、トータルメディアさんにも多くの無理難題に対応していただいた。感謝の一言です。

(西尾)
大きな施設の展示では、テーマごとに学芸員がつく場合も多く、表現の整合だけでも大変な苦労です。その点、今回の場合は文章を全て都倉先生が担当するなど、慶應義塾さま側が少数精鋭だったからこそ、弊社としてもスムーズに進行できました。その分、お一人おひとりのご負担も大きかったとは思いますが。こちらとしても、大変勉強になりました。

テキスト 多くの苦労を乗り越えて迎えた展示館のオープンは感慨もひとしお。

 

福澤諭吉や慶應義塾史を知ることを通して、今日の日本や自身を取り巻く課題と向き合う勇気が得られる、そんな場になればうれしい。

(都倉 氏)
来館者数は2021年7月の開館以来、約5万人。新型コロナウイルスの影響から正直どれほどの人数がいらっしゃるか不透明でしたが、比較的早いペースで到達したという印象です。この館は、福澤諭吉や慶應義塾史を知るだけでなく、いまの日本や自分を取り巻く課題を発見できる場になるようにと意識してつくりました。一見複雑な現代的な課題も、実は先人たちがかつて向き合い格闘してきた問題と繋がっていることを発見することがよくあります。福澤と慶應の歴史をたどることを通して、“颯々”と歩み出す“智勇”が湧く、そんな場になればうれしいですね。

テキスト 2023年8月 福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館・記念室にて収録

 

福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館に関するプロジェクトレポート

展示施設設計/展示制作・工事

福澤諭吉の思想と共に、脈々と受け継がれる慶應義塾の理念を発信

本施設は、福澤諭吉の生涯と慶應義塾史を「実物」と「言葉」でたどる展示館として計画され、展示では福澤の生涯や先進的な思想と共に、160年に渡り受け継がれてきた慶應義塾の理念を世に発信する事が求められた。 「颯々」「智勇」「独立自尊」「人間交際」という福澤諭吉の生き方を象徴する4つの言葉で構成された展示空間は、蘭学に端を発する「実学」の流れを暗示する「一筆書き」の線で繋がれ、随所に現れる福澤自身の言葉や慶應義塾史上の象徴的な文章とともに、あたかも福澤自身が導いているかのような設えとした…。…続きを読む

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