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プロジェクトインタビュー

第10回プロジェクトインタビュー:
 十日町市博物館 様


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十日町市博物館は、1976年の社会教育課所管の文化財収蔵庫建設に始まり、1979 年に社会教育課から独立して十日町市博物館として開館しました。十日町市の多様で豊かな自然と歴史・文化を市民と共に探求し、保全・継承し、その価値を国内外に発信することを目的に長きにわたり活動を続け、2020 年に現在の場所に移転リニューアルしました。当社は移転リニューアル展示計画・設計・製作にわたり本プロジェクトをお手伝いさせて頂きました。本稿では、十日町市博物館の館長をおつとめになる菅沼様と当社のプロジェクト担当者が、移転リニューアル当時を振り返りつつプロジェクトへの想いやこだわりを語っています。

 

2020年6月に移転リニューアルした「十日町市博物館」

十日町市教育委員会事務局 教育文化部
文化財課 課長 十日町市博物館 館長
菅沼 亘 様

栃木県栃木市生まれ。1992年3月新潟大学大学院人文科学研究科修了。同年4月より十日町市教育委員会文化財課・博物館に勤務、学芸員。専門は日本考古学。埋蔵文化財資料の発掘・整理、博物館の教育普及・展示事業に携わり、新館の移転・リニューアルを担当。2023年より現職。

株式会社トータルメディア開発研究所
プロジェクト事業本部 東日本プロジェクト統括部
チームリーダー
中尾 宏太郎

1992年、トータルメディア開発研究所に入社。プロジェクト部門に配属となり、現在に至るまで数多くの公共・民間のミュージアム開発に従事。歴史、科学、自然、防災、世界文化遺産、重工業、金融に至るまで幅広いテーマのミュージアムを手掛ける。十日町市博物館の移転リニューアルでは、国宝の火焔型土器を中心に実物資料を通して、雪国のくらしや生業としての織物文化などを地域の暮らしの息づかいと共に展示し、十日町市の文化観光拠点づくりにもに努めた。

 

十日町の特色のひとつである「雪」の結晶と織物をモチーフにデザインされた博物館外観

 

コロナ禍での移転リニューアル開館。苦難の船出となるも、現在は多くの来館者が来訪。

 

十日町市博物館 館長 菅沼 亘 様(以下、菅沼館長)
開館当時はコロナ禍のさなか。はじめは入館者を県内在住の方に限定しての苦難の船出でしたが、おかげさまで現在は毎年2万5千人以上の方に来ていただいています。大半は県外からのお客さまでそれは喜ばしいことですが、今後はいかにして市民の方に来館していただくかが課題です。

 

全国からの公募で選定された館の愛称『TOPPAKU』を冠した入口サイン

 

公民館の活動が基礎となっている背景もあり、地域の人々の活動と密接にむすびついた運営がベース。

 

(菅沼館長)
当館は1979年の開館以来『妻有(つまり)地方の自然と文化』をテーマに「市民・来館者と共に考え、活動し、成長する博物館」をめざし、多様な活動を続けてきました。もともと十日町市は公民館活動が盛んな地域であったという背景もあり、郷土史研究家や地元の有志による「友の会」(現会員数約550人)の方々など、地域の人々と密接に結びついた活動が特徴です。
始まりは、開館より5年前の1974年。博物館に隣接する小学校建設予定地で発掘調査が行われたことが発端です。出土品などから古墳時代と奈良・平安時代の集落跡の存在が明らかとなり、『馬場上遺跡』と名付けられました。この資料をどうにか活用できないか、そうした思いが郷土博物館の建設構想につながったのです。

移転リニューアル前の旧館

 

2020五輪の聖火台に火焔型土器を採用してもらうという提案がリニューアルの機運を醸成。

(菅沼館長)
当初の計画では、旧館の耐震改修・展示のリニューアルのみの予定でした。しかし2013年に「2020年の五輪開催地が東京に決定したので、聖火台のデザインに火焔(かえん)型土器を採用してもらうのはどうか」との話が持ち上がり、様々なアピール活動が行われ、当館も改修にとどまらず、館そのものを新築してはという機運が高まりました。
聖火台が火焔型土器をモチーフにしたデザインになり、新館オープンが2020年開催の東京五輪に間に合えば、国内外から多くの来館者が訪れるのでは?──。そうしたプランがあったわけです。
ご存じのとおり、五輪は1年延期され、聖火台は別のデザインが採用される結果となりました。ただ他方で別の課題も抱えていました。耐震改修・展示のリニューアルをした場合、約2年の休館が必要になる、旧館は増築工事をした建物のため見学者の動線をうまく設定できない、など──。
こうしたさまざまな理由を考慮した上で、2015年3月末に新博物館の基本構想(素案)が取りまとめられ、新館建設に向け、本格的に動き出すことになったのです。

リニューアルのベースとなるのは、旧館時代からの長きにわたる活動の蓄積

 

十日町の特色を打ち出す3つのテーマを設定。テーマを際立たせるための展示のあり方を何度も議論。

(菅沼館長)
開館当初の展示テーマは『雪と織物と信濃川』でした。しかしその後、越後縮(えちごちぢみ)の紡織用具と積雪期用具がそれぞれ重要有形民俗文化財、さらに市内の笹山遺跡から出土した火焔型土器群が国宝に指定されたこともあり、リニューアルでは常設展示のテーマを『縄文時代と火焔型土器のクニ』『織物の歴史』『雪と信濃川』の3つに定めました。旧館時代の展示動線の複雑さを解消したかったという狙いもありましたが、新館の展示がリニューアル前とあまり変わっていないという印象を来館者に与えたくなかったのです。これまでと同じ通史展示にしてはという意見もありましたが、最終的に館が所蔵している資料の特色を明確に打ち出したテーマを軸に、展示を構成した方が良いということになり、いままでと大きく異なる展示動線を持つ、3つのテーマ別の展示室が生まれました。

株式会社トータルメディア開発研究所 中尾 宏太郎(以下、中尾)
トータルメディアが本プロジェクトに関わり始めたのは、基本計画が策定された2015年ごろ。私が担当となった設計時には、3つのテーマ別展示室とそれらをつなぐ導入展示室の構成はすでに確定していました。他方で、縄文土器と豪雪地帯の厳しい暮らし、そして地域で発展してきた織物産業の歴史、これら3つのテーマをつなぐ導入展示室で何をすべきか、そのあたりはずいぶんと議論した記憶があります。展示室全体が旧館と比べ、やや小さくなったこともあり、情報の取捨選択はなかなか大変でした。

 

(菅沼館長)
中尾さんは、展示の大ベテラン。そして、長岡市や小千谷市で仕事をこなし、信濃川をだんだんさかのぼって十日町市へいらっしゃった。当然、新潟県の歴史や状況もよくご存知で、そのあたりの知識や情報を生かし、展示に反映してくださいました。雪が積もる時期には「マイ長靴」をバッグにしのばせていたのが印象的です。トータルメディアさんといえば、我々としては映像を主とした展示というイメージが強い。当初は実物展示を中心とする当館との相性が気がかりでしたが、見事にまとめてくださった。映像展示が多すぎもせず、実物資料の展示が少なすぎもせず、非常にいいバランスに仕上がったと思います。

 

エントランスの地形ジオラマは十日町市の風土的特色を俯瞰(ふかん)できる重要な展示。

 

(菅沼館長)
エントランスに設置したジオラマは十日町市の歴史を俯瞰して説明する上では重要です。1万5千分の1スケールの白い地形模型にプロジェクションマッピングを施し、当市の自然や風土、歴史文化を7つのストーリーで展開しています。俯瞰すると、盆地の中央には信濃川が南北に流れ、その両側に雄大な河岸段丘が広がる地形がよくわかります。

 

南北に流れる信濃川と雄大な河岸段丘を俯瞰できるジオラマ

(中尾)
エントランスホールは外光が入る明るい空間で、プロジェクションマッピングには適さない環境でした。また、夕方になると西日が照りつけます。設計時に模型上部の天井照明を少なくしたり、モニターを組み込んだ造作壁で遮光対策するなどしましたが、映像がきちんと見えるかどうかは、現場で投影してみるまでわかりませんでした。結果的にきれいに投影できて、正直ほっとしました。また、プロジェクターで投影してみると、模型と川の位置がずれていたり、凹凸の激しい地形に文字が歪んで映ったり、現場での調整に苦労しました。

 

試行錯誤を繰り返した導入展示。3つの展示テーマを象徴的に示す技術的な工夫を盛り込む。

(中尾)
3つのテーマ展示室に入る前の導入展示はかなり工夫を重ねました。「3つのテーマの基礎知識をグラフィックでデザイン化して壁面に大きく展開して表出する」という博物館からの要望に空間演出で応えるにはどうしたらいいか、悩んだ末に考えた展示は、3つの壁面にテーマ展示映像を展開し、その中段に映像を横切る形で立体グラフィック化した基礎知識を嵌め込む構成です。立体グラフィックは透過フィルムを貼ったガラスの内側に設置されていて、通常はガラスに映像が映っていて見えないが、人が近づくとセンサーで中の照明がついて立体グラフィックが見えるという仕組みです。
ネタをばらせば、アナログです(笑)。とはいえ、当社としては初めての試み。壁のモックアップを作って実験を重ねました。最初は映像がガラスの内側のグラフィックに映ったりして、何度も改良をしました。この仕掛けを考えられたのは、詳細な展示情報が必要だと言われたからこそのアイディア。当初、導入展示室は地形模型のプロジェクションマッピングやインタラクティブ映像などを活用して展示テーマをイメージしてもらう計画でした。しかし方針を詰めていく中で、この導入では、まず基礎知識を伝え、テーマ展示室に繋げていくのが良いという結論に落ち着いたんです。博物館の3つのテーマへの繋がりをつくる最も大切な空間として位置づけられたので、どのように演出するか一人で悩み、長い間、良い案が浮かばず追い詰められましたが、試行錯誤を繰り返した結果、最後には満足するものができたと自負しています。

3つのテーマ展示室へ誘う重要な導入展示

 

苦労を重ねた末に完成した導入展示のエピソードを振り返る

 

国宝展示室は、国宝の火焔型土器を落ち着いてじっくり観覧できる環境づくりに注力。

 

(菅沼館長)
縄文時代の展示室(『縄文時代と火焔型土器のクニ』)では、火焔型土器をはじめとした多数の出土資料を通じて、縄文人の衣食住をわかりやすく紹介しています。入ってすぐ右手には国宝展示室があり、国宝『新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器』57点を代表する火焔型土器(指定番号1)が中央に鎮座。旧館時代は国宝が壁沿いの棚に並び、一方向からのみの見学でしたが、現在は360度、細部に至るまで見ることができます。また、国宝展示室内の土器は、定期的に入れ替えています。

国宝『笹山遺跡出土深鉢形土器』が展示された国宝展示室

 

360度、どの角度からも細部を見ることができる国宝の火焔型土器の展示

(中尾)
旧館では、火焔型土器は木の内装の展示ケースに並んでいました。しかし、その特異な装飾と文様を際立たせるために、ケースの内装と室内の壁をすべて黒で統一。照明もスタジオでの実験を基に選定して土器の存在感を高めました。また、国宝展示室は、文化庁と協議を重ねて、文化財保護やセキュリティの観点から別室として区画できるように建築と調整して構成しました。

 

縄文の暮らしを再現した実大復元模型の資産を継承しつつ新たな展示手法も導入。

 

(菅沼館長)
『縄文時代と火焔型土器のクニ』のゾーンは、縄文時代で最も古い草創期の本ノ木・田沢遺跡や、その後に続く前期、中・後期の遺跡から出土した土器・石器、土製品を多数展示しています。旧館では、旧石器時代から中世までの考古資料をまとめて展示していましたが、火焔型土器が国宝に指定され、さらに、『「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化』が日本遺産に認定されたことなどもあり、やはり「十日町といえば縄文」だろうと。考古資料の展示を縄文時代に絞ることで、展示が圧倒的にわかりやすくなったと思います。

縄文時代のくらしをリアルに伝える精巧な縮尺模型を展示

(中尾)
旧館にあった縄文人の暮らしを再現した実大復元模型には学芸員の方々の強い思い入れがあり、なんとか移築できないかとの要望がありました。しかし、それでは展示室『縄文時代と火焔型土器のクニ』の半分ほどが埋まってしまう。面積の制約はあるものの、旧館への思い入れを生かすため、縮小した情景再現模型をつくることで、ご納得いただきました。旧館の資産の継承だけにとどまらず、地域の特色をどう出すか、実物資料のエッジを際立たせるためにいかにわかりやすい空間デザインにするか──。そのあたりは様々な試行錯誤を重ねましたが、最終的にはこれまでに培ってきた経験を十分に反映できたと思っています。

 

来館者自身が縄文の世界に入り込む楽しい参加型の展示も導入。

 

(中尾)
その他にも、体験型展示をいくつか導入しています。デジタル技術を使って縄文時代の衣装を試着体験できる『バーチャル縄文ファッション』というコーナーが好評です。大型モニターの前で縄文人の衣装を選んで自分の顔を撮影すると、自身と衣装が合成されたアバター(分身)が生成されます。生成されたアバターは先ほどの縄文のくらしの縮尺模型の背景に投影された映像に登場し、狩猟や土器づくりなど縄文人の生活を営み始める。まるで自分が縄文人になったかのような面白さがあります。

縄文の衣装を着た自身のアバターが大型モニターの中に登場

 

生成されたアバターは縄文人のくらしの縮尺模型の背景に投影された映像に登場

(中尾)
火焔型土器を組み上げる土器パズルも人気ですね。火焔型土器は複雑な形状をしているため、一般の土器を組み上げるよりも面白い。土器パズルの体験展示の導入事例はいくつもありますが、従来のものは土台となる構造物に土器片を貼り付けていく方式でした。十日町市博物館では、土台を無くし破片自体を合わせて組み上げる方式を採用しているので、よりリアリティのある体験ができます。こうした体験展示を取り入れることによって、火焔型土器の複雑なディテールや構造の探求につなげていくねらいがあります。

 

旧館のメインコンテンツ『織物の歴史』は、地元の方々にとっても大切な位置づけ。

(菅沼館長)
展示室『織物の歴史』では、重要有形民俗文化財『越後縮(えちごちぢみ)の紡織用具及び関連資料』を中心に展示し、古代から近代・現代に至るまでの織物の歴史をたどっています。
十日町市の織物の通史は、旧館におけるメインコンテンツの一つでした。展示されている資料の多くは市民の方々からの寄贈品です。ですから、この展示室は当館のみならず、織物産業に関わる方々をはじめとする市民にとっても大切な場所なのです。

 

十日町の伝統的な織物の柄をモチーフに空間をデザイン。技術革新が新たな表現を可能に。

 

(中尾)
先ほどの縄文エリアの壁紙や床は火焔型土器の炎をイメージした赤色でしたが、この展示室は十日町の伝統的な織物の柄をスキャン・拡大して印刷しています。壁紙に直接グラフィックを印刷できる出力クロスという素材ができたおかげで、展示空間の表現の幅が劇的に広がりました。

十日町市の伝統的な織物の柄をモチーフに展示空間をデザイン

(菅沼館長)
十日町市は現在「絹織物の街」としても知られますが、それ以前には麻織物の歴史が千数百年続いていました。どのようにして麻織物から絹織物に転換し、戦前の明石縮(あかしちぢみ)や戦後のマジョリカお召、黒絵羽織を開発していったのか、そのフロンティア精神を含めてわかりやすく伝えることに注力しました。すでに旧館の時点で、織物の通史展示は完成形に近い内容でした。当時、試行錯誤の連続でつくり上げたそのレガシー(遺産)を引き継ぎながらも、その後の情報を追加し、どうやって新しいものにしていくか。なかなか難しい課題でしたね。

 

様々な工夫で奥のウォールケース内の着物を一望できるようにし、展示室全体の印象を変える。

 

(中尾)
設計で気を配ったのは、展示室に入った瞬間に奥の壁面ケースに展示した越後縮、明石縮(あかしちぢみ)、黒絵羽織などの着物が一望できること。しかし、重要文化財である越後縮の生産道具を展示した行灯型のエアタイトケースが手前に並ぶと見通しの邪魔に……。ケース内に照明があるため、どうしても高さが出てしまうのです。
そこで上面もガラスにしたローケースを特注でつくり照明は天井からとる形にして、高さを抑えて奥の壁面ケースが見通せるようにしました。このエアタイトケースは、特注で開発したオリジナルケースです。細かな工夫ですが、それだけで展示室全体の印象が、がらりと変わります。

織物を美しく見せるための様々な工夫を施したエアタイトケースを導入

(菅沼館長)
こちらに展示してある織機は当時、実際に明石縮(あかしちぢみ)などを織っていたものです。旧館に展示してあったそれらを新館に移動するのも一苦労。構造も複雑で、運ぶ際に糸が絡まってしまうなどの問題もあったため、運搬も織機の専門業者でないとできなかった。中尾さんに運搬業者をいろいろと調べていただいて、対応できるところを何とか見つけ出し移設ができました。その業者さんから見ても「この織り機はとても貴重なもの」とのことでした。一方で、その方は「なぜこんな大変なことを引き受けたのか」と同業者の仲間からあきれられたそうです(笑)

 

さまざまな課題をクリアしながら進められたリニューアルを振り返る

十日町市の文化の本質は、豪雪と市内を流れる信濃川の関係にある。

(菅沼館長)
十日町市の歴史の本質は、豪雪の中で育まれた雪国特有の生活文化と市内を流れる信濃川がもたらした豊かな恵みにあります。この『雪と信濃川』展示室では、重要有形民俗文化財『十日町の積雪期用具』を中心に、信濃川をめぐる歴史や利用状況などを示したグラフィックパネル、昔の雪国の代表的な生活シーンを復元した縮小模型、かつての豪雪の様子を写した大型写真、そして旧館から再移築した民家などを展示し、信濃川と人々の関わりや雪国特有の暮らしを紹介しています。

雪国の様々な生活シーンを再現した模型

(中尾)
当時の家を縮小模型で再現するに当たって、昔の写真を参考にするだけでは限界があったため、市内外の民家を調査したりして結構大変でした。菅沼さんと一緒に市内をまわり、民家の構造の痕跡がわずかに残る古い民家を調査したことが良い思い出です。

綿密な調査と考証によって制作された雪国のくらしの模型

 

雪国のくらしを象徴する生活用具の多くは地元の方々からの寄贈。

 

(菅沼館長)
大型ケースには、雪国ならではの生活道具の数々を一堂に展示しています。くの字に折れたノコギリは、雪をブロック状に切るためのもの。腰まである雪の中を歩くための、大型の『すかり』を見て驚かれる方もいらっしゃいます。

展示されている資料は地元の方々の寄贈によるものが多い

(菅沼館長)
雪の重さを体験する展示も十日町ならではです。降ったばかりの新雪と、降り積もって堅く凍ったざらめ雪の重さがどれほど違うのか、雪掘りがいかに大変な作業か知ってもらう狙いがあります。旧館でも情報展示としてパネルで雪の重さの違いを紹介していましたが、やはり実際に持ち上げてみるとその差がよくわかります。
当館では開館以来、学校等の教育機関と協力し、その活動を援助する博学連携を重視しています。そのため周辺の市町村から多くの児童が当館を訪れますが、視覚だけでなく実際に触れたり、試したりすることは学びにもつながりやすいため、体験型の展示を増やして良かったです。

雪国のくらしの厳しさや温かさをイメージしてもらうには、実際に民家の中にあがってもらうのが一番。

(菅沼館長)
展示室『雪と信濃川』のスペースの多くを占める移築民家に、誰でも入ることができるようにしたのも新しい試みの一つ。やはり、雪国の生活を知るには実際に家にあがり、板の間の硬さを足の裏で感じてもらうのが一番です。そして囲炉裏端に座り、民具の「明かり障子」に見立てたモニターで雪の中での生活を記録した昔の動画を見て、手元や足元にある道具がいかに使われていたかを学んでもらう。展示パネルを見るよりも、没入感は強いはずです。

実際に中に入って雪国のくらしのイメージを体感できる移築民家

ミュージアムショップは当初よりスペースを拡充。火焔型土器をモチーフにしたアイテムが人気。

(菅沼館長)
ミュージアムショップは、当初の設計段階よりもスペースを大きく増やしました。縄文土器をモチーフにした商品を中心に、品ぞろえも旧館のころに比べて倍以上の1000種類を超えました。一番の売れ筋は火焔型土器をモチーフにした菓子類です。そのほか、通販大手の『フェリシモ』ミュージアム部(神戸市)とコラボしてつくった火焔型土器のクッションカバーやソックスなども大変好評です。

多彩なアイテムがならぶミュージアムショップ

 

博物館は実物資料とじっくり対峙してもらうことが基本。安易に新しい技術にはしらないことも大切。

(中尾)
私自身はもちろん、当社としても国宝を扱う博物館の仕事はそう多くはありません。この業務で実物資料の持つ力を改めて感じました。その魅力を余すことなく伝えるためには、落ち着いて資料に対峙する空間をいかにしてつくるかが大事だと思いました。そこに過度な演出は必要ありません。同時に、実物資料以外の部分は直接触れるなどの遊びを入れつつ、五感で展示に接してもらう。それは博物館全体のバランスをとるうえでとても重要だと思いますし、自分にとっても展示に関わっていくなかで大切にしていきたい部分です。
今後、技術進化はどんどん進み、展示手法の幅も広がっていくでしょう。ですが慌ててそこに飛び付かなくても、知恵と工夫次第でいくらでも素晴らしい展示はできます。よく思案してみたら案外、アナログな手法がベストだったりする場合もあるかもしれません。安易に新しい技術を取り入れず、思考をめぐらせ、最適な展示方法を突き詰めていく。これからも、そうした部分をしっかりと追求していきたいと思います。

 

生涯学習の一施設だった館が文化観光の拠点へ。様々な連携で博物館活動の幅を広げたい。

(菅沼館長)
かつて、博物館は主に生涯学習施設の一つとして位置付けられていましたが、近年は文化観光の拠点施設という役割も担っています。その役割を果たせるよう現在では、十日町市内にある自然系博物館の『越後松之山「森の学校」キョロロ』と連携した事業を行っています。また、十日町市を含む越後妻有地域で、2000年から続くアートイベント『大地の芸術祭』と連携し、博物館やキョロロを含む市内の文化観光拠点施設間の周遊者数を増やすことができないかと考えています。また、これまで通り、教育普及、資料収集・保存、調査研究など博物館としての基本的な仕事も変わらずに進めながらいろいろな取り組みをしていきたいですね。

 

2024年11月「十日町市博物館」にて収録

 

十日町市博物館に関するプロジェクトレポート

「笹山遺跡出土深鉢形土器群」を鑑賞できる 国宝展示室
建築設計/展示施設設計/展示制作・工事

十日町市の多様で豊かな自然と歴史・文化を発信する拠点

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